歌词
僕が初めて沖縄にいった時
当我第一次去冲绳的时候
何となく物悲しく思えたのは
感受到一种莫名的悲伤
それがまるで日本の縮図であるかのように
在这片如日本的缩影的土地上
アメリカに囲まれていたからです
却处处浮现着美国的影子
尽管如此94年,夏天的冲绳
とはいえ94年、夏の沖縄は
被汗水润湿的T恤禁贴着身体般的炎热
Tシャツが体にへばりつくような暑さで
将烦恼全部脱下来丢弃在夜里的大海
憂鬱なことは全部 夜の海に脱ぎ捨てて
也谈过两,三次的恋爱
適当に二、三発の恋もしました
嗡嗡 嗡嗡响的蝉鸣之声
那是欢喜的歌儿 还是悲叹的蓝调呢
ミンミン ミンミンと蝉が鳴いていたのは
虽然已经无法得知 我们还是用与蝉鸣相似的声音
歓喜の歌かそれとも嘆きのブルースか
奏响着悲喜交加的歌曲进步向前进
もはや知るすべはないがあの蝉の声に似たような
走过了很多街道 相遇了很多个人
泣き笑いの歌を奏で僕らは進む
道过的离别已不计其数
于是此刻我在想的是 大胆地想的是
いろんな街を歩き いろんな人に出会い
啊啊 好想更加地深爱某人
口にした「さようなら」は数しれず
从开始学会喝酒以来
そして今想うことは 大胆にも想うことは
曾经走了一家又一家地想喝遍每一种酒
あぁ もっともっと 誰かを愛したい
然后发现了世界上最美味的酒
那就是拼命工作后的那一杯
酒の味を覚え始めてからは
多少有点看透
いろんなモノを飲み歩きもしました
支持战后日本的原形的此时
そして世界一のお酒を見つけました
和平与自由是什么
それは必死で働いた後の酒です
国家与家庭又是什么
毫无根据地想着这些
戦後の日本を支えた物の正体が
离开出生的故乡 也渐渐远离梦想
何となく透けて見えるこの頃は
啊啊 我会到达哪里呢?
平和とは自由とは何か
今天也在电车中摇晃着的 映照在车窗的脸庞
国家とは家族とは何か
看来是有那么的些疲劳
柄にもなく考えたりもしています
神明会将我们救赎吗
还是说科学会替代神明呢
生まれた場所を離れ 夢からも遠くそれて
想要长生不老是很愚蠢吗
あぁ僕はどこへ辿り着くのだろう
祈求无所不能是很自私吗
今日も電車に揺られ 車窓に映る顔は
时光匆匆流去 转眼我已年过三十
そうほんのちょっとくたびれているけれど
啊啊 究竟我能留下些什么
已改变的事物 事到如今已无法改变的事物
神は我等を救い賜うのでしょうか
啊啊 虽然好坏掺半
それとも科学がそれに代わるのでしょうか
然后在99年夏天的冲绳
永遠でありたいと思うのは野暮でしょうか
总而言之我们的旅程又告了一个段落
全能でありたいと願うのはエゴでしょうか
跟我们所爱的人 跟爱我们的人
一起举杯畅饮世界上最美味的酒
時の流れは速く もう三十なのだけれど
唱完最后一首歌 声音嘎然而止之时
あぁ僕に何が残せると言うのだろう
啊啊 我在那时想的是什么呢
変わっていったモノと 今だ変わらぬモノが
虽说是自己选择的路 时而也倍感艰难
あぁ 良くも悪くもいっぱいあるけれど
因为一些微不足道的事情我们又哭又笑
走过了很多街道 相遇了很多个人
そして99年夏の沖縄で
今后也会如此
取りあえず僕らの旅もまた終わり
于是此刻我在想的是 唯一在想的是
愛する人たちと 愛してくれた人たちと
啊啊 有一天再来到在这个城市歌唱
世界一の酒を飲み交わしたのです
啊啊 一定也能再去那个城市歌唱
啊啊 然后想让你听到这首歌
最後の曲が終わり 音がなり止んだ時
おわり
あぁ僕はそこで何を思ったのだろう
選んだ路とはいえ 時に険しくもあり
些細なことで僕らは泣き笑う
いろんな街を歩き いろんな人に出会う
これからだってそれはそうなんだけど
そして今想うことは たった一つ想うことは
あぁ いつかまたこの街で歌いたい
あぁ きっとまたあの街でも歌いたい
あぁ そして君にこの歌を聞かせたい
おわり
专辑信息